大和郡山お城まつりに協賛

 速成寺は大和郡山お城まつりに協賛しております。

 

大和郡山藩本多家初代藩主政勝侯菩提所の寿量山速成寺では、今年も開催予定の大和郡山市お城まつりに協賛・賛同しております。

第57回 大和郡山市 お城まつりの開催期間は、平成29年3月26日(日)~4月9日(日)まで

 

大和郡山市の「お城まつり」は、大和郡山城の城址の天守台をはじめ、その周辺の石垣の多数の石仏、墓石が積み込まれており、城史有縁の諸霊位を慰めるために、昭和36年より続く歴史ある行事です。「日本の桜百選」の郡山城跡を彩る桜のもと、時代行列や市民パレード、金魚の品評会、名産品の即売など多彩なイベントも開催予定です。

詳しくは 大和郡山市観光協会公式ウェブサイトをご覧ください。

 

 

 

 

大和郡山城について

 

大和郡山城は徳川家康の命により御大工棟梁の中井正清の手により京都二条城天守閣として、豊臣秀頼が大阪城在城の時移転された事が初めて判明致しました。
この事についてはNHKBSによって奈良大学教授千田氏により説明があり放映されました。速成寺資料等に中井正清は中井家初代の大和法隆寺大工の中井正吉の子であり、中井正吉とは豊臣家の御大工棟梁で大阪城の築城や大和郡山城の築城にもたずさわった御大工です。子の中井正清は慶長7年(1602)二条城の徳川家御大工で慶長11年(1606)には大工として初めて従五位下大和守に仕官致しました。法隆寺の修復の棟札には「番匠大工一朝惣棟梁橘朝臣中井大和守正清」との署名があります。その後従四位下で200石を受け法隆寺大工の中核をなした人物です。大和郡山城は大阪城と並び大和郡山100万石の城として豊臣秀長により築城されました。金箔瓦等をはいした大阪城におとらぬ立派なお城でありました。しかしながら、徳川家康の家来で郡山在番奈良代官の大久保長安の時、二条城天守閣として移築されました。その後、淀城天守閣へと移築されたそうです。

 

現在大和郡山城跡では、天守台展望施設整備事業が進み、歴史的な景観や風景の眺望を享受できるように、天守台石垣の修理を行い、展望の場所などが整備されております。平成29年3月末には、郡山城天守台展望施設の完成が予定されております。

 

 

ライトアップされた天守台展望台

 

満開の桜に囲まれた郡山城跡